先日の「大人時間」での薔薇写真館の写真ができたとの連絡で、取りに伺う。
いつもお茶をごちそうになったりしているが、この日はひょんなことから
写真のあれこれの話になった。
そうそう、デジタル撮影とフィルムの話からかな〜〜・・・
「これは何でしょう?」とフェイスブック上ではなぞなぞしていましたが
なんだとおもいますか?^^
ここはもう使わなくなったという暗室の壁に残っている写真の引き伸ばし機です。
これで指定サイズに引き伸ばし、その後現像・・
濡れた写真を吊るしていたクリップ 見えにくいけど竹のトング
現像作業も修行の一つだったそう・・・
九州では使っている人はもう数人になったらしい・・・フィルム
と、それを詰替していたいたフィルムケース
ここはそのケースに詰替する為の第二暗室で、かつて大牟田が人口20万人代だったころ
成人式撮影で一日130人撮影した記録があるそうだ。
それだけの数のケース達がひっそりと並んでいた。
ちょうど、この日の朝オットが久しぶりに龍馬伝のDVDを見ていて、あの有名な
ポーズの龍馬の写真が脳裏に残っていたので、「
上野 彦馬」の名前も出た。
幕末〜明治にかけて日本の写真の祖と言われる「上野 彦馬」
その頃の撮影方法ってどんなだったのだろう?というと「こっちこっち〜」
手招きされる。
おやおや年代物のカメラがずらり・・・
左上には木のカメラもある。諸先輩方から譲り受けられたものらしい。
初期の頃の撮影は、
ガラス乾板といってガラス表面に写真乳剤を塗りつけたもの
が使われていて、感光まで少々のお時間、動かない様に首支え器具なども
あったそう。 (でもまばたきは大丈夫だったそう)
そんな時代に想いを馳せつつ熱弁の川口さん
また長崎に行った時は、その当時の模様を探してみようと思う。
今のカメラよりはるかに大きかったそうだ。(通称 アンソニー)
デジタルにはない、なんとも深みがあるように感じてしまうのである・・・
川口さんは旧三井港倶楽部が一般の人も使えるようになった
昭和62年(1987)、の25年前から旧三井港倶楽部で結婚式等の
写真撮影に携わっておられる。
私もウエディングの仕事でご一緒して以来、家族写真なども撮影して
いただいているのだが、以前の三井時代のお話になり、その頃の撮影は
すべて町田定明氏の撮影によるもだそう。
(旧三井港倶楽部の、レジの上に花の写真が飾ってあるので行かれた方は
見上げて見てくださいね) 四山の間のお写真も・・・
残念ながら、web上での情報は殆んどありませんが日本で有名な写真家だった
そうです。
そういえば・・・ これはおそらく昭和45年頃の写真で撮影は町田写真館となっています。
叔母さんの結婚式の写真です。
今も昔も旧三井港倶楽部で集合写真はこのスタイルなのです。(私のも)
そろそろ私もプロモーション写真撮ろうかな〜(笑)なんて思ってますが、
皆さん免許書の写真が持ち込みokになったのはご存知ですか?
撮影した翌日3時渡しで、価格も¥1800位だそうです。
それなら断然プロに撮ってもらったほうが良いですよね〜
阪神淡路大震災の時、残ったまちの写真屋さんのもとに続々と問い合わせが
入り、保管されていたネガで写真が蘇ったという話も聞きました。
特にこの50年位?でめまぐるしく変わった写真業界。
デジタルカメラの普及で、誰しもが手軽に楽しめる世の中になり
その影で廃業された写真館も多いと聞きます。
ちなみに遺影写真も、突然の事でバタバタしてしまいがちですが田舎に行くと
老人会単位で何年かに一度撮影会があるそうで、そういう常識は初耳でした。
少し大きなまちになるとそういうのは聞いたことないですねぇ・・・
家庭用デジタルカメラで撮ったスナップ写真は伸ばすと荒くなってしまうそうで
高齢率ダントツの大牟田では潔く遺影写真を撮るという習慣付けもあっても
面白いのかも知れません。楽しく 潔よくですね^^
でも話を聞くと、懐かしいキオクが蘇ってくるこのまちの写真館の良さを
また沢山の方々に知っていただける機会や、行ってみたくなる場作りも
必要だよな〜と思ったのでした。
まちの写真館カフェですね・・✩
川口写真場
福岡県 大牟田市 上官町1-2−2
Tell 0944-52-4409