昨日は大牟田文化会館で行われた「実物はハンパない」に行ってきました。
日本で最後の三池炭鉱が閉山した日15年前の3・30 節目の日・・・
前半は近代化遺産にゆかりの深い方々によるトーク
それぞれの関わりを交えながらのこの15年を振り返り
そして後半は 「三池 終わらない炭鉱(やま)の物語」の上映
この映画を見るのは2度目になる。
今回は8歳のムスメと3歳のムスコも連れっていたっのだが
8歳のムスメは、ママとよく行くところの景色や夢タウンとか三池港とか
知ってるものが出てきて「ふぅ〜ん・・」と眺めていた。
映画の大半は大牟田でその時代を生きた人の話がたくさん登場する。
中でも戦後最大の惨事となった三川炭鉱炭塵爆発の被害者で生き残った
方々のその後の人生・・Co中毒となられた方々の、特に家族の生き様は
今の大牟田に住んでいる40代以降の世代にはわからないと思う。
昭和42年生まれの自分の記憶をたどると、今はない新港町社宅から
与論移住者の子孫たちが同級生にも多数いたし、Co中毒になられた方々が
長年入院されていたのは家のすぐ近くの天領病院だし、三池争議のデモも
本当に家のすぐそばで繰り広げられていたと、叔父伯母たちから伝え聞いていた。
映画を見ながら、「そうだったよな〜」と回想しつつ、今までの大牟田が石炭に
よって経てきた歴史なしには新しい未来は語れないと思っている。
今回、客席からイベントを拝察させていただいていて、これから先のことも
ぼんやり考えていました。
近代化遺産関係のイベントとなるといつも来場者の90%近くは高齢者で
占められているのが常です。
それはいけないことではなくて、当たり前のことである訳で、危惧するのは
40代以降の世代が極端に少ないこと・・・
最後に熊谷監督から一言もありましたが「これから次の世代に伝えていくことが
非常に大事」と言われていました。 そうです「伝承」です。
なので、これからは30〜40代の子育て世代にいかに参加してもらうかを
私は考えていこうかと思います。
大牟田市内では三池炭鉱関連施設が世界遺産候補となったことが色々物議を
醸しています。トークの中で市職員で
大牟田の近代化遺産というサイトの管理人の山田さん
は「お金がかかるから物議を醸しているんでしょう」とあっさり言われた ^^
多分その通りだと思います。
何かにつけ、「世界遺産よりは・・・」という表現の新聞投稿を目にすることが多々
あるのですが、それは比較する問題が違うといつも思っている。
世界遺産という新しい概念がかかった時、改めて自分たちのルーツを鑑みる
機会だと思うので、そういう次元での物議を大いに期待したいものです。
人間の生い立ちも全てそのひとの人生であり、「大牟田市」という大きな括りの
生い立ちも大牟田市の人生で、これから先の人生を考える大きな節目にあると
思います。
参加者が増えないと議論もできません。
だから、40代以降の働き盛りで忙しい子育て世代にも参加してもらえる仕掛け
作りは必要だと思います。
これも熊谷監督のメッセージの中にあったのですが、東京で上映会をしたときに
若いカップルがたくさん見に来ていて、その中に泣いていたカップルがいたそうです。
「なぜ泣くの?」と聞いてみたら、「映画の中に出てくる人たちが一生懸命生きて
いるのに、自分たちはそうじゃない・・・」と、そういう思いで泣いていたそうです。
時代や会社に翻弄されながらも一生懸命に生きていた人たち・・・そういう人達が
たくさんいらっしゃることに敬意を持ち、
「一生懸命生きなくちゃね」
そう思わせてくれる一本の映画です。
タイムリーに今朝の西日本新聞を読んでいたら、東京・新国立劇場で
つい最近まで上演された「
パーマ屋スミレ」という舞台があるそうで、
舞台は1965年の大牟田三池炭鉱です。主演:南果歩さんと松重豊さん
チラシpdf
劇作家の チョンさんは「人生は悲劇性と喜劇性の裏表。あまりに重い題材で
躊躇もしたが、
必死で生きた人々をちゃんと描きたかった」という・・・
3月の25日までの上演だったそうなので残念だが、NHKBSプレミアムで
5月7日午前0時〜放送予定だそうです。
取材記者の最後の締めくくりは「いつか九州で再演されるべき舞台である」と
書いてあります。
「負の遺産」と言われていた頃から僅か15年で小説や舞台の題材として描かれ始めた
大牟田の歴史背景・・・
こんなまちはないだろう・・・